DIE WITH ZEROの考え方で不惑に近づいた


今年で40歳になります。
若い頃は40歳はもっと大人だと思っていましたが、実際に40歳になってみると、普段考えていることや生活は30代の頃とあまり変わっていません。

一方で、40歳は「不惑」だと言われています。孔子が「40にして惑わず」と言ったからだとか。

自分はどうだろうと考えてみましたが、確かに40歳になって惑うことが少なくなったような気もします。
悩みとか不安が少なくなったようです。

若い頃は自分と他人を比べ、不安になったり焦ったりしてることが沢山ありましたけど、そういうことが少なくなりました。

自分がどんな人間か分かった

自分がどんな人間かと言うことが分かったと言うことが理由の一つだと思います。

何が好きで何をしていると楽しいのか。
何が嫌いで何をしたくないか。

そういうことがわかるようになったのが大きいんじゃないかなと思います。

上を見てもキリがないし下を見てもキリがない。
すごい人はたくさんいるし自分が1番じゃない事はもう分かっているけれども、それでも楽しんで生きていければいいよねと思っています。

お金のことで悩むことも減った

あとは、やっぱりお金のことがあると思います。
私は幸いにして、40歳の時点で多少の資産を作ることができました。

お金はあればあるほど良い、ということではないですが、「ある程度の蓄えがある」っていうのは大きな安心材料になると思います。
若いころはお金がないというだけで、焦りがあった気がします。

DIE WITH ZEROの考え方


DIE WITH ZEROと言う本を読み、その考え方にも影響を受けています。

すごく端的に言うと、死んでしまったときにお金がいっぱい残っていてもしょうがない。
使うべきところにお金を使って、死ぬ時はお金がゼロの状態で死ぬのがいいよって言う本です。

では使うべきところっていうのは何か。作者によると「経験を最大化」すると言うことです。
人生の目的はお金をいっぱい稼ぐことではない。ゲームでハイスコアを競うようにお金を稼いでも意味はない。

それよりも自分の人生を最も楽しくできるように「経験を最大化」すること。
若い頃しか楽しめないこともあるからそういう経験にはお金を使う。自分の人生で経験できることを最も大きくする。
子育てにもきっと当てはまって、子供と一緒に楽しめることには(もちろん可能な範囲で)お金を使っていこうという考え方です。

この考え方に影響を受けて、もっと稼いでいる友人と自分を比較して焦ることが減ったと思います。

私は5年位前に、働きすぎとパワハラ上司により、鬱症状になって休職していたことがあります。
その後ワークライフバランスを取れる会社に転職しました。

「お金を可能な限り稼ぐことが人生の目的じゃない」
「経験を最大化するにはどうすれば良いかを考えよう」
この考え方が、自分の考え方や意思決定の軸になったことで、惑うことがなくなったように感じます。
自分と家族の経験を最大化する、一緒に楽しめることにはお金を使うし、お金をたくさん稼ぐことよりも一緒に楽しめる時間を作ることの方が大事だと思っています。

キャリアについて

そうは言っても、キャリアを完全に諦めたと言うことではありません。
キャリアで目指したい山の頂上は、前と変わらないものがそこにあります。

ただ、キャリアを目指すときの考え方が昔とは変わりました。
必死になって他のものを投げ捨ててでも山頂に到達することが大事なのではなくて、家族と一緒に、山を登るときの風景や登ること自体を楽しみながら、自分のペースで目指すキャリアの頂上に向かっていきたいと思います。

もしかするとそのペースだと頂上にたどり着けないかもしれません。
でも私にとってはその山の登り方が人生においてはより重要だと思っています。

死ぬときに、「山の頂上にはたどり着けなかったけど、家族と一緒にたくさん思い出を作りながら生きていたなぁ」と思えれば、私はそのほうが幸せなことだと思います。